第8訪日 概要 団員 日程 公文書 NPO 報道
第8回訪日団参加者、ホスト家族、のメッセージです.。ゲストのメッセージの日本語訳はUPの準備が出来たものから順次掲載していきます。なお未成年者は条例に基づきイニシアルにしています。(日本語訳 国際交流地域実行委員会 事務局)
(ウォーレン・タナベ・リー)
僕の大阪旅行
この大阪への旅行は僕が今までした中で、一番良かったものの一つです。僕は今回がはじめての日本だったけど、今は家に帰りたくないし、僕が体験した事をこの文章を読んでいる人と分け合いたいです。
はじめに、僕のホストファミリーについて。僕のホストファミリーは、お母さん、お父さん、男の子二人と女の子一人の5人家族だった。最初に彼らとあった時、英語をうまく話せる人がいないことに気付いて不安だったけど、僕はなんとかみんなとコミュニケーションを取れた。
僕のホストファミリーはとても親切だった。ひとつだけ困った事は、ホストファミリーがいつも僕の事を心配していた事だ。僕のためだとはわかっていたけど、時々困った(僕がそう思うのは自分が十代だからだと思う。)でも、最後の週末は一日中ビーチへ行って一晩過ごしたり、たくさんの本当にとても素晴らしい時をホストファミリーと過ごした。
この旅行で一番良かった部分は、広島で原爆投下記念式典に参加したことだった。広島行きが良かったその理由は、「その日」に広島でなにが起こったのかということを被爆者の方から聞くことができたからだ。「その日」に起こったことを知れてとても興味深かった。
そして原爆が投下された日に当たる翌日、僕たちは式典に参加した。1945年8月6日誰かが亡くなったその地面に、僕たちは寝転がった。その後式典では、世界の国々の名を一つ一つ呼び、各国の旗を持つ2人が「その国が平和でありますように」と繰り返していった。
全ての国の名前があげられたあと、全員が同じ言葉を7回繰り返した。「世界中が平和でありますように。広島が平和でありますように。長崎が平和でありますように。」
「ピースおおさか」と「リバティーおおさか」はとても行く価値のある場所だった。特に日本における差別について知ることができたので、「リバティーおおさか」は僕にとって興味深かった。こんな大きな国で差別が残っていて、それが今でも大きな問題だということを僕は知らなかった。いつの日か日本から差別が消滅し日本の人たちが平和に暮らせることを願っています。
いつかまた日本へ帰ってきて、日本文化をもっと学べる日が楽しみでしょうがありません。この素敵な経験をさせてくれてどうもありがとう。
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(坂本佳代子さん)
(ニキ・ロビンズ)
こんにちは。私はニキ・ロビンズです。サンフランシスコのハーバー・フーバー中学に通っています。毎年、友達や先生からこのステキな旅行の事を聞いていつも行きたいと思っていました。そして今年お母さんにこの旅行の事を聞くことに決めました。
最初、お母さんは、「忙しすぎる」か「高すぎる」と言うと思っていました。でも、お母さんに聞くと「きっとあなたにとっていい経験になるから、行っていいよ」と言ってくれました。その後すぐにこの旅行のことを考え始めました。
「なぜ私が日本へ来たかった」というレポートで、広島へ行って第2次世界大戦の最後について学びたかったからだと書きました。広島平和記念館に行ったとき、原子爆弾と、その恐ろしい結末、発明した人について今まで以上に学びました。
ユースホステルでは私の「小屋」の近くに洋式トイレがなかったのでいやだったけど、それがユースホステルですよね!!
この旅行に来る前(私が確実に参加できるとわかったあと)わたしはホストファミリーの事が不安でした。“もしいい人じゃなかったら?"“もし彼らに嫌われたら?"“おいしい料理を作ってくれなかったら?"
私は母親に何度も「もし〜〜だったらどうしよう?」「あーいやだ」「きっとあなたたちが恋しくなるわ」と言っていました。でもホストファミリーに会ったらすぐに、心配する事はないとはっきりわかりました。ホストファミリーはとても親切で、どこへでも連れてってくれて、なんでも料理を作ってくれました。
この旅行は最高の旅行になりました。そしてこれからもこの交流に参加したいと思います。ヘニー・ケリーとマリア・トワイマンは素晴らしいリーダーでした、私はこの旅行が大好きでした。明日私はアメリカに帰るけど、帰る事に喜びと悲しみの両方を感じます。そして来年の夏、国際交流地域実行委員会の取り組みか家族と一緒に日本に帰って来たいと思います。素敵な経験をありがとう!!
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(ヒカリさんエリさん)
ニキちゃんと、一緒にすごした二週間は、とても楽しかったです。ボウリングに行ったりプールに行ったりユニバーサルスタジオジャパンにも行きました。一緒にご飯を食べたり、お風呂入ったり、トランプを、したりしました。
ニキちゃんに、英語も少し教えてもらいました。私は、ニキちゃんの住んでいるサンフランシスコにも、行って見たいと思いました。また、ニキちゃんと会えると、いいなと思っています。
ニキちゃんとの日記
7月27日 ニキちゃんとの出会い。ドキドキでした。
7月28日 犬のポチの散歩にいっしょにいきました。たこ焼きも食べました。
29日 夜はニキちゃんの好きなカレーをたべました。
30日 お昼は、梅田にショッピング。ビデオごっこをして遊びました。
31日 ボーリングにいきました。夜は、盆踊りにいきました。ニキちゃんもゆかたを着ました。
8月 1日 淡路小学校のお祭りに行きました。お昼からプールと温泉にいきました。
2日 ニキちゃんは、桃がお気に入りで、たくさん食べました。
3日 夜は、いっしょに来たお友達と、食事をしに行ったり、ゲームセンターに行ってたみたいです。
4日 朝から少し、しんどそうでした。熱はなかつたけど、早く寝てました。
5日 広島に行ったので、少し寂しかったです。
6日 夜、近くのお寿司やさんにいきました。
7日 ユニバーサル・スタジオにいきました。
8日 ニキちゃんは、日本のおじいちゃんに会いにいきました。
9日 さよならパーティーの後、カラオケにいきました。
10日 いよいよ、お別れの日。とっても悲しかった。関空まで見送りに行った けど、ニキちゃんに会えなかったのが残念。でも、ニキちゃんの乗った飛行機が、見えなくなるまで、手を振ったよ。
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(ブレンダ・コバルビアス) 訪日団の思い出
日本を訪れる前、私はずっと「太平洋の反対側の暮らしはどんなだろう」と思っていました。私が出会ったのは「平和」を求める世界でした。私が日本に来たのは、ここで経験したことを故郷の人たちと分かち合うことによって、平和のメッセージを広げていくためのような気がしています。
最も記憶に残っている中の一つは広島への旅でした。平和式典の準備を見る前まで私は、歴史上達成されたことがない「平和」というものが本当に実現可能なのだろうか、と何度も思いました。しかし広島で私の考えは違っていました。このような重要な目的のためにこのような多くの人が集まっているのを私は見たことがありません。私が見た爆撃後の広島のイメージは悲惨なものでした。人類がこのような恐ろしいことを意識的にやれるのだということを知って、私は悲しい気持になりました。さらに、その行為が、私がその一員である国によってなされた、ということに罪の意識を感じました。しかし式典の間、平和への願いはもう不可能なことには感じませんでした。世界中から集まった何千人もの人が、お互いに横になりながら世界平和を祈り署名していました。広島での経験を経た今では、平和を達成することが不可能なことだとは思いません。
もう一つの忘れ得ぬ思い出は、長尾一家と生活できたことです。長尾家に招待いただけたことをとても幸運に感じました。ホームステイの経験がなければ、こんなにも日本のことを理解することは出来なかったと思います。アメリカで私は一人暮らしをしています。そのこともあって、長尾家と生活を共有させてもらったことは私には特別なことでした。日本チームがアジアカップに優勝するのをホストファーザーのマサオさんと見れたのはとても良かったです。ホストマザーのキミコさんのおいしい夕食をいつも楽しみにしていました。またそれが食べたいから、という理由だけで、戻ってきたい気になります。またホストブラザーのタキノリとミツタカは、私が大阪で迷子にならないようにいつも気をつけてくれていました。またホストシスターのアキコは、毎朝地下鉄の駅まで行く途中で自転車でこける私に、いつも我慢強くつきあってくれました。
もちろん奈良や京都のような訪問地は美しかったのですが、その美しさは、長尾家の人々や世界平和が可能だと私に示してくれた他の多くの人たちの心に私が見た美しさとは比べられません。家に帰って太平洋の方を見ても、反対側には何があるのだろうとは思わないでしょう。むしろ、この海の反対側にはより良い世界への希望に満ちた場所があるということを思い出すでしょう。
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(ナガオ キミコさん)
猛暑の中の2週間、終わってみれば 短かったような・・・・この暑さに耐えれるのかな?と心配しつつ迎えました.
ゲストは,ブレンダという学校の先生をされている方でした。大人なので気が楽でした。というもののブレンダの話すスペイン語っぽい英語が聞き取れず、娘はとても苦労していました。私は、長い会話になるとさっぱりなので
2人の息子に頼ってばかり・・・海遊館にも息子達に同行してもらいました。私は食事の用意をするだけ・・食事もいつもどうりで気合を入れて作ったわけでもなく,私は一体何をしていたのだろうと反省しています。
もっと日本語で話しかければよかったかな?娘も英語が話せると張り切っていたのですが、ペラペラと喋られるとわからないらしく、少し自信を無くしたような感じです。
とりあえず事故も病気もなく終えられたので、ホッとしています。いつもならダラダラと過ごす夏休みが今年は充実したものになりました。(まだおわっていませんが)
今度は私たちがサンフランシスコに行くよ!とブレンダに約束しました。楽しい2週間をありがとう!
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(ナガオ アキコさん)
この2週間本当にすごく短かったです。ホストファミリーを今まで2回うちの家はしたことがあるけど、今回初めて私が送り向かいや、お世話をしなければならなかったのですごく緊張しました。
でも緊張したのは最初らへんだけで、京都観光で長い時間一緒にいることができて、その日あたりから少しずつ慣れていきました。家では二人の兄がいっぱい喋ってたり私もちょくちょく喋ったりして、家族全員とたくさん日本語も交えて会話できてよかったと思います!
休みの日は十三の花火大会に行ったり、通天閣に行ったりと、とても充実してたと思います。ブレンダはうさぎが好きでうちの家にいるうさぎをすごく可愛がってくれました*
あと、ブレンダはSMAPの香取慎吾がとても好きでスマスマを一緒に見て月曜日だけは、いつも11時まで起きていました!!
9日のお別れパーティーは自分自身がゲームに参加したりして、ものすごくいい日になりました*他のゲストとも少し仲良くなれたし、ずっとこのパーティーをやってたいと思ったけど、予定通り5時ぐらいに終わってしまいました。
ここで思ったことは、もっと積極的になるべきやったなぁと少し後悔とかしました。生徒会の皆さん盛り上げてくれてありがとうございました!!*
来年はこっちからサンフランシスコに行けるといいなぁと思います!!ブレンダありがとう!!すごく充実してたし、楽しい二週間をありがとう*
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(ステイシー・ドノバン) 訪日団の思い出
2004年7月26日、私は日本の大阪に向けて初めての旅に出ました。旅行者として私は、寺院や美術館や庭園などの多くの場所を見ることができることを楽しみにしていました。教師として私は、日本のホスト家族と過ごす中から自分が日本の文化について学んだことを生徒たちに伝えることができることを楽しみにしていました。日本とアメリカにはどんな共通点と相違点があるのかを楽しみにしていました。
まず「ピースおおさか」と「リバティーおおさか」へ訪問することから訪日は始まりました。日本ではかつて不当な扱いを受けてきた人たちがいたことを学びました。殆どの人が同じ肌の色をしているにもかかわらず日本にもアメリカのように差別が存在している、ということを学んだのはその時でした。次の日は京都に行き、景色や日本の有名な寺院を初めて見ました。翌日の歓迎パーティーでは、日本食を頂きながら素晴らしい発表・演技を楽しみました。翌週は奈良観光から始まりました。複雑なデザインの寺院や塔が完全に木造であることを知って驚きました。次に大阪市役所で歓迎を受けました。木曜日に広島に行く前、大阪城に行き大阪湾でのクルーズに行きました。
訪日の中で最も記憶に残っているのは、原爆投下があった日に広島を訪れたことでした。到着するとすぐに広島平和記念館に行きました。そこで爆発前の広島の中心地のレプリカを見て、爆発によってどれほどのダメージがあったのかにぞっとしました。被害を被った多くの人たち(生き残った方も亡くなられた方も)について読みました。アメリカの歴史の授業では学ばなかった爆発についての詳細についても学びました。また8月6日がそれほど素晴らしい天気で空が快晴でなかったら広島はおそらく爆撃されていなかっただろう、ということを知り当惑しました。翌日の朝8:15、つまり爆弾が落ちたきっかりの時間に、われわれは平和式典に参加しました。原爆投下を経験した唯一の国である日本に関わりながら、私は全ての国への平和を願いました。
訪日のもう一つのハイライトは、素晴らしいホスト家族のところに滞在できたことでした。ホスト家族は、家の中とバスルームでは違ったスリッパを履く、といったいくつかの日本の習慣について教えてくれました。箸を使うのは上手ではなかったですが、私は伝統的な日本食を味わう機会もありました。ホスト家族は、夜には私が眠れるように快適な布団を準備してくれ、昼間には十分な水とお金を準備してくれました。とても気を使ってくれたので、とても安全に感じました。
例えば最初の夜にホスト家族は、私が地下鉄の駅に行ったり家に帰ってこれるように大阪の地図をくれました。サンフランシスコではそのお返しがしたいです。
サンフランシスコの帰ったら、日本で学んだことを私の友人、家族、生徒たちに伝えたい気持でいっぱいです。大阪、京都、広島、奈良に加えて、週末に出かけた難波、宮島、神戸の写真も見せてあげたいです。最後にいつの日か日本に帰ってこれることを楽しみにしています。
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(ナガオ トシムネさん)
ゲストをお迎えし、あっという間の2週間が過ぎ、今日無事見送る事が出来、ホッとしています。小学生の先生ということも有り、困ったことも全く無く穏やかに過ぎました。
来られるまでは土日に案内する所を色々計画していましたが、今回一緒に来られていた先生仲間とご自身で土日を使って旅行されたので、ご一緒する機会が少なく残念でした。
しかし、この国際交流を通して、世界平和を願う気持ちは同じだと国籍を超えてお話できて大変いい経験をさせていただきました。
毎日暑い中、同行されました先生方、ボランティアの方々、またスタッフの皆様本当にお疲れさまでした。そして、有難うございました。
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(ミッシェル・チャン)
こんにちは。私はミッシェル・チャンです。サンフランシスコの高校に通っていて、2004年夏の訪日団派遣に参加しました。この旅行の間中、様々な場所で日本人のライフスタイルや日本文化への認識が広がりました。
この旅行でよかったところは、大阪でホスト家族と生活し時間をすごしたり、美術館や府庁舎・市庁舎へ行ったり、京都・奈良を観光したり、そして一番重要なことは、広島に行って被爆者の方に会い平和式典に参加する機会を得たことでした。それ以外には、買い物や水泳やUSJに行って楽しみました。
ホストファミリーは私を暖かく迎えてくれました。故郷から遠く離れた私たちがまるで家にいるような気分になるように、家族の一員のように対応してくれました。
「ピースおおさか」と「リバティーおおさか」では、日本の加害者と被害者の両方の部分を見れました。どの国にとっても、被害者の面を表に出す事によって同情を得る事は簡単な事です。しかしこれらの博物館はさらに勇気ある一歩を踏み出して、自分たちもまたかつて加害者であったと認める、という世界の他の場所ではあり得ないことをやっていました。
府庁舎・市庁舎訪問でわかったことは、日本はいま全ての人々にとっての平和と人権を求めているということでした。
京都と奈良の観光では、日本の宗教と文化に触れられました。いろいろなお寺を回り、純な日本食を食べたり、買い物をしたりどれも楽しくておもしろかったです。
広島への旅行は、私がいつも遠ざけてきた世界に目を開いてくれました。暗くて醜い、しかし深く隠された真実がそこにはありました。広島行きはその部分に光を当て、学校では教わらないことを再現する手助けをしてくれました。これは忘れられない体験でした。
今日本での2週間が終わろうとしています。この旅での経験は本当にとても楽しめました。教室の中とは比べられないぐらい、学ぶこともできました。この経験は、世界中で何にも変えられないものです。
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(ノモト ユイさん)
私の家にはミッシェルという16才の女の子がきました。最初の日は回転寿司を食べに行きました。緊張のせいかあまりしゃべってくれませんでした。しかもその夜はさっそく(?)ホームシックになったみたいで夜泣いてたみたいでした。
次の日から、家に帰ってきてからはアニメがすきみたいでよく見てました。声優のことについて聞かれたけど、私は声優にとくに興味がないのでよくわかりませんでした。
土曜日はコインランドリーに行きました。やっぱりアメリカ人は人のと一緒に洗うのは嫌みたいでした。日曜日はTSUTAYAに行ってウォーターボーイズと猫の恩返しのDVDを借りてみました。これは楽しんでくれてたようでした。
次の土曜日はUSJに行きました。これはテンションがすごく高くなっててちょっとびっくりしました。おみやげ屋から2時間くらいでてきませんでした。日曜日はなんば、心斎橋に買い物に行きました。
アメリカの家族へのおみやげに日本的なものをいろいろみてまわったのですがすごく迷っててすっっごい疲れました。帰るときにこれからもメールをつづける約束をしました。
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(コリーン・ワング)
私の大阪への旅行は完全に完璧でした。毎日いろんな活動でうまっていて楽しかったですし、この旅でのすべての時間を楽しみました。でも、特に良かったのは、京都・奈良観光と、広島で被爆者の方の話を聞いたこと、平和式典に参加したことでした。
京都は私が行った場所の中で一番気に入った場所の一つで、綺麗な自然と静けさがよかったです。私たちが行ったいろいろなお寺の景観は、すばらしいの一言でした。お寺へ向かうバスの中でさえ、すばらしい景色が見れて楽しかったです。
広島では、被爆者の方の話を聞く機会を与えてもらいました。彼の話は本当に悲しかったけど、原爆が投下された時に起こったことをより深く理解できて、うれしかったです。広島で過ごす2日目、私たちは8月6日の平和式典に参加することができました。旗を持ってのセレモニーでは、私のお父さんの国である中国の国旗を持つことができました。
それぞれの日が本当にたのしい事ばかりだったのですが、もし素晴らしいホストファミリーがいなければこんなに印象深い想い出にならなかったと思います。大阪にいる間、2家族のホストファミリーがいてどちらもすばらしいもてなしをしてくれました。
ホストファミリー達は私に家を開放してくれて、両手を広げて歓迎してくれました。毎晩の夕食の時、私はいつもまるで本当の家族の一員のように感じました。時々コミュニケーションすることに困難さはあっても、ホストファミリーはいつでも私を満足させてくれました。
この旅行の全部の事が楽しくて、帰らなくてはいけないことが悲しいです。この2週間はあっという間に過ぎましたが、良い想い出と純粋な楽しさで満たされています。
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(3年ナカモユリ)
コーリンが家に来た日からあっと言う間にさよならの日がきました。最初の夜は、なんか恥ずかしくて何しゃべったらぃぃかわからなかったけど、自分で単語を並べて喋って行くうちにジョーダンとかも言えるよぅになったし、すごいコーリンがかわぃぃなぁって思うようになりました。
英語を話すより日本語話す方が簡単だけど、でもすごく大切な事なんだってコーリンを見て思います。たぶん今日、泣きます。笑
本当によかった! ありがとうございます。コーリンもありがとう!
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(イタニ サリさん)
我が家は、築30年以上のオンボロ公営住宅。そのうえ、狭い。ホストファミリーなんてとんでもないと思っていましたが、藤井先生に「ホテルじゃないんだから、ありのままで大丈夫」と促されて思いっきって立候補。中学生の息子のベットに留学生を寝かせて、娘のベッドに息子、娘は留学生のベットの横に布団を敷いて、三人が並んで寝る。布団をあげたら、そこにちゃぶ台を出してお食事と計画。でも、実際は、部屋は留学生の荷物と二つのベットでいっぱい。息子は私と寝ることになり、食事はテーブルで、誰かが横を通るときは誰かが立って椅子をどかすという具合になりました。
やってきたのは、コーリン。中国人のパパとハワイ出身の日系2世のママ持った親しみやすい笑顔の女の子。日本語はほとんど話さないけど、日本文化や単語をよく理解しているので、意思の疎通はわりとスムーズにいきました。アメリカの人は、とてもはっきりと自分の気持ちをいうので短い時間でお互いを早く分かり合えたと思います。とくに、自分の夢や興味に対してはっきりとしたイメージ意欲を持っているのに関心しました。
困ったのは、やはり食べ物です。コーリンはとても食べる量が少ない。それが、食べ物が嫌いなのか、おいしくないのか、ダイエットしてるのか、さっぱりとわからない。お寿司が大好きといっても好きなのは日本にはないカリフォルニア風のお寿司だったり、ツナが好きといっても生じゃない。だから、まぐろのお寿司は食べないみたい‥とわかったのは帰国寸前。コーリンが帰国してから、盆休みに入り余裕も出てきて、ああしたあげたらよかったな、あのときはこうして欲しかったんだななんて思うばかりです。
そして、わが娘は片言の英語も使おうとせず、堂々と日本語とジェスチャーで押し通しました。それが、ちゃんと意味が通じているばかりでなく、かなり込み入った内容まで理解していたのに驚きました。「あっ、私と一緒だ」、「私に似てるね」、と女の子としての気持ちや高校生としての生活体験に共通点を見つけ、心を通わせることができたことに、とても満足していました。
ホストファミリーを終えて、家族で同じことを言いました。「コーリンって素敵な子だったね」
ホストファミリーにならなかったら、知り合えなかった出会いです。一緒に寝食をともにしたからこそ、生まれた心の交流だと思います。こんな機会をくださってありがとうございました。
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(3年イタニ ユリさん)
今回始めてホームステイをして身近に英語と接することができてとてもいい経験になりました。英語の発音を教えてもらったり、サンフランシスコの事を聞いたり、お互い話が通じない時は辞書で調べて英語が苦手だった私も積極的に沢山の話をしました。また京都めぐりにも1人で参加したおかげて訪日団の人といる時間が増え、ホームステイを担当した子以外の方とも仲良くなれたした。私も来年ぜひサンフランシスコに行って自分の目で確かめて見聞を広めていきたいです。
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(エイドリアン・クリスチャンセン)
人生最高の旅行
こんにちは。わたしはエイドリアン・クリスチャンセンといいます。私は、世界中へ行きたいという自分の夢を実現するために日本へ来ました。この旅行はすばらしいものになりました。京都、広島、大阪へ行って、たくさんの事を日本から学びました。習慣や日本語を学びました。
広島への旅行は一番良かった中の一つでした。広島平和記念館へ行って原子爆弾について学ぶことができて良かったです。重たい経験でしたが、それについて学ぶ事は良かったです。
スイミングに行く事も好きでした。アメリカと日本はとても違います。水泳帽をかぶらなきゃいけないし、30分ごとに全員がプールからあがって音楽を聞きながら、ストレッチをします。とてもいいルールだと思いました。
日本に滞在して、もう一つ私が大好きだった事はホストファミリーとすごした事です。ホストファミリーとすごすことはとてもいい経験になったと思います。一日ごとに、ホストファミリーと仲良くなれました。
この旅行に参加できたことを本当に嬉しく思います。この旅行の事を死ぬまで忘れません。どうもありがとうございました!
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(カモン エミコさん)
エイドリアンはみんなより二日遅れて木曜日の夜一人で、やって来ました。たった一人で心細かったろうにエライと思います。
次の日、金曜日は疲れているだろうと思いましたが、みんなで天神橋商店街に行くプランに参加しました。しかし円に両替するのにパスポートを所持していなかったので買いたい物も何ひとつ買えず帰って来ました。
31日土曜日は朝はスーパーライフに見学がてらお買い物に行き、その後、難波に行き新しくできた極楽商店街に行きました。そこで昼ご飯として、はがくれうどんで生醤油うどんを美味しいと言って食べ、また以外な事にみたらし団子が好物だという事で美味しそうに食べてました。
その後ゲームセンターに行き90分位いろんなゲームをしました。ダーツやエアーホッケーetc…ウィークディは学校からのプランに参加し、夜は私たち家族と、みんなで自転車で回転寿司に見学がてら食事に行ったり子供たちで花火をしに出たり…
8月1日の日曜は京都の八坂神社や円山公園そして陶板美術館や植物園etc…に行きました。
7日の土曜はうちの娘と友達の丸山さんとエイドリアンの三人でUSJに行き夜遅くまで遊んで来ました(残念ながら天候の都合でラストの花火は中止でした)。
8日の日曜は前日と同じメンバーで吹田の市民プールに行き日焼けして帰って来ました。夜はうちの娘は、かねてよりの予定がありましたので出かけてしまいましたので、エイドリアンと私たち夫婦と姉娘と近くに住む私の母と5人で近所に食事に行きました。
その後は日本でマンションと呼ばれているものがどのような物かエイドリアンに見せるためもあり母の住むマンションに行き私が持参した手作りのチーズケーキで皆でデザートにしました。
始めは2週間はとてつもなく長いと思われましたが過ぎてみると早かったです。すぐ10日のお別れの日が来ました。
私たちとしてはベストを尽くしてお世話したつもりでしたが、私たちの英会話が思ったよりできず(特にヒァリングはまるでダメでした)エイドリアンが伝えたい事の半分も分ってあげられずエイドリアンは多分ストレスが溜り、また淋しい想いをしただろうと思います。
それを思うと切なくなります。もう少し英会話ができるようになりもっと楽しく(苦痛じゃなく)コミュニケーションできるようになる事が私たちのこれから課題です。
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(コーニー・リー)
こんにちは。私の名前はコーニー・リーです。カリフォルニアのサンフランシスコから日本の大阪を訪ねてきたアメリカ人の高校生です。大阪滞在は私にとって素晴らしい経験でした。この2週間で「ピースおおさか」、「大阪人権博物館」、広島、奈良、京都を訪れ、日本の家族宅にホームステイもしました。それらの経験について述べていきます。
1週目には「ピースおおさか」と「大阪人権博物館」を訪れました。「ピースおおさか」では、加害者と同時に被害者に戦争が及ぼす影響について学びました。「大阪人権博物館」では、日本の様々な形での差別について学びました。これら2つの博物館は私にとても大きなインパクトを残しました。展示を見ることで私は、戦争の悲劇と欺瞞的な憎悪の無意味さについて認識しました。
私は大阪以外にも、京都、奈良、広島のような場所にも訪れました。京都や奈良に行ったときには寺院を訪問しました。寺院はとても美しく、保存状態も素晴らしいものでした。日本が自らの文化遺産を大切にしていることがはっきりとわかりました。
広島では8月6日の広島への原爆投下について展示している記念館を訪れました。原爆が被爆者に及ぼしている長期間の影響と、投下当日のパニックの状況について、詳しく説明されていました。翌日は平和式典に参加しました。式典は8月6日の悲劇を記念し、その日の被害者に敬意を表し、世界約200カ国の平和を祈念するものでした。
大阪での2週間の間、日本の石井さん宅にホームステイをしました。石井さんたちは私にとても優しく親切にしてくれました。文化的障壁にもかかわらず石井さんたちは、基本的なコミュニケーションがとれるように私に我慢強く日本語を教えてくれました。私は特に
石井さんたちの子ども2人、あゆみ君とゆきのちゃんと一緒に遊ぶのが好きでした。私たちはアメリカのゲームと日本のゲームを何度も教えあいました。
全体として日本滞在は私にとってとても楽しい経験になりました。何度も噛まれた虫刺されと蒸し暑さにもかかわらず、日本は私にとって良い友だちでした。親しみやすく、美しく、そしてきれいな国、日本をまた訪れたいです。
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(イシイ チカさん)
我が家に来た4人目のゲストCourtney Leeに出会って。今回は、4回目のホストファミリーをすることになり、私も子ども達も7月27日が来るのをとても楽しみにしていました。
当日を迎え子ども達は、少し恥ずかしそうでした。今回初めての女の子のゲストにどうしていいかわからなかったようです。Courtneyも、とても恥ずかしがりやで遠慮深くおとなしい性格だったので、子ども達の元気の良さにとてもびっくりだったと思います。
Courtneyは、私達にたくさんのお土産をくれました。子ども達には、たくさんのT−シャツ・絵本・人形をプレゼントしてくれました。子ども達は、毎日プレゼントしてくれたT−シャツを日替わりで着ていました。本当に、嬉しかったのだと思います。
3日目ぐらいから、子ども達も慣れてきて仲良く遊ぶ姿もありました。トランプをしたりオセロをしたりして遊んでいました。トランプは、コミュニケーションを取りやすいのだなって思いました。Courtneyは、オセロを知りませんでした。みんなでで、オセロのルールを教えました。私達は、Courtneyにオセロをプレゼントしました。トランプは、日本のトランプゲームを教えてしたり、アメリカのトランプゲームを教えてもらってしたりしました。
前回Theoが来た時も、トランプばっかりしていたのを思い出します。トランプは、コミュニケーションを取りやすいのだなって思いました。子ども達は、言葉が通じなくても一緒に何かしようとしたり教えてあげようとしたりとすごく積極的でした。子ども達は、Courtneyの言っている言葉を知りたがり聞きに来て、そしてどんな言葉を返したらいいか聞き会話をしようと頑張っていました。
毎回ですが、日が経つにつれてCourtneyはたくさんの日本語を覚えました。子ども達が、言っている事を理解しようと、すごく努力してくれました。日本語を覚えるスピードは、すごく早かったです。おかげで、私達はとても助かりました。
私達は、Courtneyが日本に居る間に是非体験してもらおうと、お風呂屋さんと回転すしに一緒に行きました。7月31日は、飛鳥の夏祭りに、ハッピを着て行きました。洋食焼・盆踊りを初体験!楽しそうに過ごしていました。
8月1日は、家族・親戚が集まって19人でホテルのプールに行きました。台風の影響で少し寒かったですが楽しかったです。8月3日は、浴衣を着て妹も一緒に6人で淀川の花火大会に行きました。8月6日は、WTCの48階のレストランに夕食を食べにいきました。8月7日は、家族と妹達を招いてお好み焼きパーティーをしました。8月8日は、浴衣を着て飛鳥の盆踊りに行きました。最後まで見よう見まねで踊っていました。結構楽しんでいたようです。
今、振り返ってみると…いろいろな事を一緒にしたなって思います。とても楽しい思い出に残る2週間でした。子ども達は、Courtneyと過ごした2週間そして歓迎会・クルージング・お別れ会の中でゲストのメンバーとも仲良くなり素朴にいろんな事を感じたと思います。
私は、子ども達が成長していく過程で、こんなにいい経験ができる機会があって本当に嬉しく思います。娘は、一緒にお風呂に入ったり一緒の部屋で寝たり遊んだりと、一番一緒に過ごした時間が多く同姓っていうのもあってすごく甘えていました。いつか子ども達が、Courtneyに再会できる日が来るといいなと思います。
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(ローリー・モリーン)
訪日団の感想
サンフランシスコの一教師として私は、生徒とともに海外研修旅行に行きたいとずっと思っていました。同じく教師をしている私のホストに会い、日本で彼女がしているのと同じように生活してみることをとても楽しみにしていました。日本への飛行機の上で私は、日本のホストに早く会い、私と多くの興味を共有する日本人の女性の目を通した日本を発見したくてたまらない気持ちになりました。素晴らしい旅行を期待する私の願いは、大阪の柴島高等学校に入った瞬間に満たされました。夕食をしながらホストと私はすぐに深い会話に没頭し、私たちがとても違った暮らしをしていながらも本質的には同じであると言うことを発見しました。我々の文化はお互いにとても重要なライフスタイルの対比を持っているようでした。
ここ数週間の間に、前向きな方向に私の世界を拡げてくれる様々な景色や行事を経験するにつれて、私のライフスタイルは変わってきました。大阪だけではなく、奈良・京都・広島・神戸・宮島にも行きました。それぞれの地で私が得た知識を、生徒に伝え家族や友人と共有したいと思います。そうすることで彼ら彼女らを、私が経験した行事や文化に近づけることができるからです。私にとって最も記憶に残っている出来事のいくつかは、日常の団体での移動を通して与えられたものでした。毎朝バスに乗ったり地下鉄の駅に行ったりする時、私はこれから始まる一日にドキドキしていました。自分たちが経験しようとしている景色のそれぞれを探求してやろうというエネルギーに満ちあふれている自分がいました。
大阪市長との面会はすぐには忘れることができないハイライトでした。私は、私たちのグループに対する彼の完璧に純粋で誠実な物腰をありがたく思いました。もう一つのハイライトは、「ピースおおさか」と「広島平和記念館」訪問で、世界を今日のようにした出来事の中で多くの人々が経験してきた苦痛について読んだことでした。私は写真と展示に深く感動し、関係した人々が感じたに違いない感情に近づくことができました。広島平和式典に参加したことがその考えと気持ちをさらに強いものにし、私は被害者の立場に身を置き、追悼の気持ちを捧げました。また私は楽しい買い物の経験を通して、地域の人たちと交流しその日常生活を見る事ができました。この交流によって私は日本人の驚くべき家族関係に対する尊敬の気持ちをいだきました。
結論として、ホストに対する心からの感謝の気持ちを表現したいです。彼女は私をたくさんの和食レストランに連れて行ってくれたり、彼女の故郷の奈良で私が何年も忘れることができないような景色を見に連れて行ってくれたりしました。幼少時代の家の近くにあった寺院で体験したお茶会で彼女が私のそばで手順の一つ一つを説明してくれたことは、忘れ得ぬ想い出になりました。一緒に滞在することからとても多くのことを学びました。その上、彼女は中学校で英語を教えているので、私たちは本当に理解し合い、一緒の時をとても楽しみました。彼女の友情と短い滞在の中で彼女が私にしてくれた全てのことに感謝したい気持ちです。これから何年も連絡を取り合うと思います。彼女にサンフランシスコを案内し、私の家にいつでも招待することで私の感謝の気持ちを表現したいです。
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(オカモト アキコさん)
<ホストファミリーとして>ホストファミリーとして、引率教員のローリー・モーリーさんを我が家に迎えました。‘ファミリー’と言っても私は1人暮らしをしているため、滞在期間を通してローリーに、家庭的な雰囲気をほとんど味わってもらえませんでしたが、年齢も近く、職業も同じということで直ぐに意気投合。毎晩遅くまでおしゃべりをし、まるで友達同士が共同生活をしているような2週間でした。
そんな中、ローリーも感想文に書いていましたが、一緒に奈良へ行ったことが一番印象に残っています。「ゆっくりと奈良を観光したい」ということで、混雑した観光地を避け、まずは、慈光院を訪れました。初めて味わうお抹茶の苦味には、少し顔をしかめていましたが、お茶室から眺めた斑鳩の里の風景には、大満足しているようでした。その後、二上山に沈む夕焼けを楽しみながら奈良市内までドライブをし、夕食は奈良町の一角にある町屋へ出かけました。「エビが大好き」というローリーでしたが、手長エビを丸ごと食べることが"Unbelievable!"と、最初はためらっていましたが、"When
in Rome do as the Romans do." と言い、最後には「美味しい」を連発していました。
他のホストファミリーの方々が、どのような2週間を楽しまれたのかわかりませんが、
ローリーと私は、以前から友達であったかのような関係でした。それは、私たちにはたくさんの共通点があったということが理由のひとつであると思いますが、初めて目にする日本の文化を積極的に受け入れようとしたローリーの好奇心旺盛な姿勢に因るところが大きいと思います。この国際交流が今後も続き、世界平和にさらに貢献する活動を行っていただきたいと思います。
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(マリア・トワイマン)
今回が私にとって2回目の訪日団になります。この交流とのかかわりは太平洋の両側で5年前にさかのぼります。
私にとって拡大家族のようになった旧友との再会には、とても感激しました。もっとも喜ばしいかったのは、サンフランシスコで何年間にわたって私の家にステイしてきた多くの生徒たちが、みな大きく成長しているのを見ることでした。彼ら彼女らがサンフランシスコに来たときには怯え困惑していましたが、帰るときには、サンフランシスコにはいつでも帰れる家があることを知り笑顔になっていました。瑞季とそのお母さんとの再会がハイライトでした。今でも彼女は私の家族と2人の里子たちの名前を覚えていました。瑞季は多くのことを教えてくれました。
彼女は初め保護され守られなければならない存在であるかのように感じていましたが、やがて彼女は自立した一人の少女であるということがわかりました。障害を持っていようと自分のことは自分でできることを彼女は私に示してくれました。彼女は私を感化し、希望を与えてくれました。
何年間かにわたって出会った大人や生徒たちと再会しホストファミリー宅を再訪することができることだけでも、私が2回目の訪日をするには十分の理由でした。今年は団長としての訪日となりました。府庁舎・市庁舎、京都・奈良、平和記念館を再度訪問・見学することで、この交流のことが今まで以上に理解できました。
訪日の中で私にとって最も喜ばしい瞬間は、広島を再訪し、息子と共に5年前にお会いした同じ被爆者の方と再会できたことでした。今回は広島の平和記念館も訪問しました。記念館を見学することは私にとって痛々しい経験でした。爆撃の様子を示す画面は、ドイツでの第2次世界大戦を思い起こさせました。その戦争が起こした苦痛と収容所で失われた全ての命を思い起こさせました。そしてそれが私の家族に与えた苦痛について、これまで以上に理解できました。若いアメリカ軍の兵隊が私の家に来たとき彼らに私の祖父が語った話を聞いたことがあります。また母が子どもの時に経験したと言っていた記憶を思い出しもしました。記念館の一部を見たあと私は広島の川岸に座り、買っていた被爆者の本を読みました。私の息子もこの記念館を見学し1945年8月6日に起こった恐ろしい出来事についてしっかりと理解したことを知って、心が落ち着きました。彼は5年前に出会った被爆者の方のことを誇りを持って仲間に語っています。彼の話を以前よりもより深く理解し、再び彼と誇らしげに写真を取っていました。
一人の母親として私は「全世界に平和を」企画に自ら参加していった全ての生徒たちを誇らしく思います。午前9時、かなり暑い中で、生徒たちは自分から演壇に上がり、多くの国々の旗を手にして持ちました。その光景が示していたのは、自分たちが「準」平和な時代に暮らしていることの幸せを、と同時に戦争がどれほど破壊的になり得るかを、若い者たちがしっかりと理解している、ということでした。
5年前私は、「ピースおおさか」のある公園の「テントシティー」にとても興味を持っていました。バスのドライバーをしてくれた池谷(ケケ)さんが私につきあってくれて、ホームレスの人々の状況について説明してくれました。彼はホームレスの人々の権利擁護活動をしているのです。私は「テントシティー」のメンバーに話を伺い、実体験について聞きました。自分たちがどのようにして自活しているのか、や、政府の援助を拒否していることについて等です。ケケは「テントシティー」にはわずかながら子どもたちが生活していると説明してくれました。そして政府が必ず「テントシティー」から子どもたちを救い出すようにすると言ってくれました。
中にはありきたりな部分もありましたが、概して交流の経験はとても良かったです。両方の側にミスがありましたが、我々は学びながら生きていくのです。いつも発展への余地があります。大阪とサンフランシスコとはもっとコミュニケーションを取る必要があります。スタッフと当時に、特に生徒に関係する時はなおさらです。団長はホームステイ(家族、住所、メイルアドレスなど)における変化についていつも情報を得ておく必要があります。ホスト家族は自分たちの責任について(待合い場所(時間)、迎え・送りの場所までの交通や食事の費用のこと)、しっかりと知らされておく必要があります。
これは否定的な言葉ではなく、所見です。何事も完璧ではありません。しかしより良いコミュニケーションと理解によって、お互いに喜ばしい訪問を提供しあえるのです。
スタッフと生徒たちが安心し家族の一員のように感じられるように計らってくれた全てのホスト家族の方々に、そして大阪の新しい友人、以前からの友人に、心からありがとうと言いたい気持ちです。次回の訪米団では、今回のホスト家族宅の生徒さんたちにサンフランシスコでお会いできることを期待しています。
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(ヘニー・ケリーさん)
2004年8月5日、私たちは広島平和記念館を訪れ、またいくつかの記念碑を見学しました。何千もの折り鶴と、たくさんの人々を見ました。記念館は、重要な港としての、そして後には重要な軍都としての広島の歴史について説明し、足跡をたどっていました。また30〜40年代に日本が中国・朝鮮の関係で行ってきた事について説明していました。全く手加減無しで、です。加害者・被害者の両面から自分たちを捉えていました。まさに、一方の側だけに偏らない情報を提供する記念館です。すばらしいジオラマ・ビデオや本物の重要な記念品がありました。この記念館を訪ねる人は誰でも、世界平和のために皆が手を合わせて取り組まなければならないことを理解できます。
夕食前にほぼ全員が泳ぎました。夕食後には被爆者の豊永恵三郎氏から話を伺いました。当時9歳でした。彼の話はとても感動的でした。
2004年8月6日。朝早く起床した我々は朝食をとり、広島の平和記念公園に行きました。7:30ごろ、世界平和のために詠唱する仏教徒の集団の横に場所を取りました。座りながら人々がやってくるのを眺めました。8:15きっかりに、皆で黙祷し横たわりました。そして爆撃で亡くなった人を参加者が象徴するセレモニーに参加しました。訪日団メンバーにとってとても意味深いセレモニーでした。
セレモニーのあと集合写真を撮りました。しかしまだ終わりではなかったのです。次に私たちは「世界平和を祈る会」の素敵な女性たちに会い、彼女らからとても感動的で重要なセレモニーに参加しないかと誘われたのです。世界の国々の国旗を手に2列に並ぶように言われました。彼女らが大陸毎に国の名前を呼び上げます。国名が呼ばれるたびに、その国旗を2人が高く掲げていくのです。そして台の上のフォルダーに旗が置かれていきます。参加者は皆「世界が平和になりますように。○○国が平和になりますように」と英語と日本語で詠唱します。
生徒と教員は50カ国の国旗を持ちました。全世界の25%以上に当たります。ブライアントの教員カルロス・グレイシアとブレンダ・コバルビアスはメキシコ国旗を、ジョナサン・マーフィーはアメリカ国旗を、私はイスラエル国旗を、マエ・ローズ・アルバートソンはフィリピン国旗を、ティモシー・トワイマンはイタリア国旗を、コリーン・ワンは中国国旗を持ちました。旗は個人の選択によりました。いつか行きたいと夢見る国の旗を持つ者も多くいました。我々は深く感動し、このセレモニーに参加できたことを誇りに思いました。セレモニーの最後には、皆で「世界が平和になりますように。広島が平和になりますように。長崎が平和になりますように」と詠唱しました。その後バスに戻り、大阪のホスト家族のもとへ帰りました。
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(森川 正 委員長) 訪日団をお迎えして
本年も大阪が最も暑いときに訪日団の生徒、先生が元気にやってこられました。歓迎セレモニーの中で私がいつも「この暑い中、事故無く、明るく、楽しく過ごし、素晴らしい思い出を胸に帰国して欲しい」と念じています。そしてこの思いをこめてヘニーケリーさんとマリア・トワイマンさんとに固い握手と抱擁を交わしました。
今回、私の家には時期のずれはありますが、どちらも2回目で気心も知れ、最初の晩は再会を喜び、お互いの長い空白をつたない英会話で埋めました。
毎回のことながら、私たちは仕事の関係上、深夜に就寝するので、お二人の朝食は近所の喫茶店のモーニングを利用していただくか、前日に朝食の材料を買って食べる方法でお願いしています。さらに送迎は柴島高校のボランティア生徒のお世話になり、淡路駅から電車で柴島高校に通い、慣れてからは自分たちで行動していただきました。(結構楽しかったみたいです)
また、表西さん赤司さんには「ホストと一日」での日に大変お世話になりました。二人を京都の貴船に連れていただいたり、太閤園へお食事に誘っていただいたりしました。帰ってから「鮎の目が私を見つめていた」とか言いながらワイワイ興奮さめやらぬ状態でした。
私たちの店の休みの日には屋上でバーベキューをしたり、ある日はデパートの折り紙展を見に行ったり、家内が作るカレーのリクエストがあったりで、私たちなりのスタンスでお世話できました。
お二人の行動範囲はすごくて商店街をくまなく歩き、お買い得品を買い、どこで見つけて買ったのか「焼き鳥、から揚げ」を食べていたこともあり、たくましさには敬服いたしました。
私はこの交流のいいところは地域の中に溶け込んでできるだけお互いのありのままの生活、ありのままを表現することで、お互いを理解し学ぶことにあると思います。これからの未来を背負う子供たちは小さい時からこの交流の中で学び育つことがグローバルな人に一歩近づくと思われます。
まだ、受け入れ留学生第1号のジョナサンが12月初旬まで石井さんところでステイお世話になっています。彼を通じていろんなことを学びこの交流の架け橋になってもらえればと幸いと考えております。
この度も事務局関係者には綿密なスケジュール作成、要員まで多大なるご協力感謝いたします。次年度はたくさんの生徒が訪米し、貴重な経験を持ち帰ってくれる事を期待します。
(ヘザー・M・サマーズさん) 大阪での生活
日本で過ごした2週間は、啓発的かつ感動的でした。私は大阪でのすべてが、これほどまでに異なりダイナミックであるとは、思いも寄りませんでした。言葉は当然ですが、それに加えて、道路の反対側を人や車が通ったり、ゴミ箱やナプキンが足りなかったり、どの食事にも大量のご飯が出されたり・・・。とても場違いな気がして、普通ならアタリマエに思っている単純なことを探り理解することに必死でした。
私は初めホスト家族に躊躇いがちでしたが、佐藤さん一家は親切で暖かく、寛容で寛大でした。二人の娘ユキとカオリは、携帯にはまっていることなど、日本の十代文化についていろいろ教えてくれました。私は美味しい日本料理をご馳走になりました。私はその料理の名前をどれも発音できないですが、食べるたびに前より美味しくなりました。
ホスト家族と経験した2つのハイライトのうちの一つは、夏の花火大会でした。私が今まで見た中で最も贅沢な1時間の目を見張る花火のショウを見るために、浴衣を着た地元の人たちの膨大な人の波をかき分けなければなりませんでした。もう一つは、流れてくる中から好きな寿司をとれる回転寿司屋に行くのに市バスに長い間乗ったことでした。地下鉄への帰り道で地元の祭りに出会いました。その祭りは、太鼓に合わせながら衣装を着た女性・男性・子どもが輪になって踊るメイポールダンスパーティーを思い起こさせました。それはとても美しい光景で、本当に日本的な気がしました。新しい言葉を聞いたり新しい食事に挑戦したり日本の学生を知るようになってきたことに加えて、私は大阪の文化に浸ってきました。
大阪での第1週目、私たちは博物館、奈良、京都を訪れました。博物館は「ピースおおさか」と「リバティーおおさか」で、私はそこで大阪の歴史と戦争の惨害について学びました。これは目を覚まさせてくれる経験であり、とてもすばらしい展示でした。日本に来る前に私は京都に行くことを楽しみにしていました。それが日本の神髄のような気がしていたからです。京都は驚くようなすばらしい寺院のある美しい都市です。私はその景色と、丘の上から見下ろした京都の光景を楽しみました。そこで過ごした時間が短すぎたことだけが残念でした。翌日は奈良へ行き、歩き回る人懐こい鹿に私は少し怯え、巨大な仏像には畏敬の念を抱きました。大仏を見上げながらそれまでの日本での経験を思い起こしました。それはとても落ち着いた時であり、再度、深呼吸をし、落ち着いて日本での短い時を楽しみたいと私は思いました。その週の残りは、市長・府知事訪問でスピーチを聞き、私たちが参加している国際交流の使命と哲学について学びました。私たちは大阪城を訪れ、伝統的な日本の音楽演奏を含む歓迎パーティーを楽しみ、広島への一泊旅行に出かけました。
広島が特別な経験になるだろうということは予想していました。きっと私に大きなインパクトを与え、戦争や核兵器の破壊について深く考えさせてくれるだろうと。私は広島市、平和記念公園、1945年8月6日に落とされた原子爆弾を記念する総合的博物館のすべてに感激しました。公園周りのすべての彫刻、特に貞子とその折り鶴を見ることができ嬉しい思いがしました。ここでも、記念館を見、公園を歩く時間が倍ほしい、と思いましたが、ホステルに向けて移動しなければなりませんでした。プールでクールダウンしたあとで、一人の被爆者が戦争の悲惨さに関する自らの体験について、私たちに長時間の話をしてくれました。それは、戦争の悲惨さに目を向けさせてくれたと同時に、世界に平和を拡げていきながら未来の世代にこの重要な歴史の事実を伝えていくことの大切さを教えてくれました。
原爆投下の記念式典に出席することができ、また自然が美しい宮島や神戸市への訪問で南日本を見学することもできたことにとても感謝しています。それぞれが特別でユニークであり、日本の本質的な部分を見、経験することができた気がします。私は地下鉄の乗り方や「ありがとうございます」のような簡単な挨拶の仕方も学ぶことができました。日本の生活には戸惑ったり困惑したりする事もありましたが、この訪日はかけがえのない学習の機会であり、それをアメリカの家族・友人・生徒たちに伝えることが楽しみです。教員と生徒からなる訪日団のリーダーとしての責任をとり、この文化交流の調整をしてくれたヘニー・ケリーに感謝したいと思います。また私に素晴らしい食事をご馳走してくれ、大阪の家庭生活について教えてくれた私のホスト家族にも感謝をしたいです。さようなら。
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(サトウ アユミさん)
初めてのホストファミリーということで、最初は不安でしたが、終わってみれば15日間は、あっという間でした。ゲストのMs.Heatherは、とても気さくで明るく元気な女性でした。
また、非常に常識的で礼儀正しく、こちらの気持ちや事情をよく理解してくれる聡明な人です。
片言の英語と、手振り身振り、そして電子辞書の助けを借りながら、コミュニケーションを取るのは大変でしたが、意思が通じた時は、とても嬉しいものです.来日前に何度かメールのやり取りをしていたのも、彼女をスムーズに受け入れるのに役立ったと思います。
私は勤めていますし、高校生の長女もクラブに忙しく、あまりお構いすることもできませんでしたが、大人の方なので、ある程度距離を置いて良かったのではないかと思います。 中高生の娘たちと一緒に浴衣を着ての花火大会や、回転寿司、盆踊り、椅子やソファの無い狭い家で、ヨガで鍛えた長い足であぐらを組んでの生活はどう感じたでしょうか。言葉や習慣など、不自由も感じたでしょうが、異文化コミュニケーションを楽しんでもらえたら嬉しく思います。
また、Ms.Heatherとは、原爆や国旗・国歌、9・11、平和について、高校生の娘を中心に、話しをしましたが、もっと英語が出来れば、もう少し深い内容を語り合えたのになあと思います。今回は、私や娘たちにとって、非常に貴重な経験が出来て良かったと思います。
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(ティモシー・トワイマンさん) 大阪への旅
今回の訪日は自分にとって今までで最高の旅でした。この交流とは5年前から関わりがありましたが、今回の訪日はホスト家族と下準備のお陰で最高でした。多くの理由から広島訪問が自分にはよかったです。中でも、被爆の生の体験を学べたので、被爆者の方からの証言はよかったです。8月6日午前8:15に、1945年のその時間その場所に落とされた原子爆弾によって亡くなられた人々に思いをはせる「ダイ・イン」の式典に、我々は参加しました。また全世界の平和を願う団体の取組に参加したことも大切に思いました。
違いへの寛容を求める大阪の博物館を見学することによって、自分にはそれまでよくわからなかった課題の一つである差別に対する理解を深め、また日本ではそれが大きな問題の一つなのだということが理解できました。
私のホスト家族は自分が今まで滞在させていただいた中でも最もよかった一つでした。私たちを家族の一員のように扱ってくれたり、私たちを喜ばせるためにすごく努力してくれたりして、私たちに熱烈な歓迎と愛情を示してくれました。最もよかったのはホスト家族が開いてくれた大きなパーティーでした。素晴らしい有名な人たちがたくさん来ていて楽しかったです。最高だった中の一つは、大阪バッファローズと西武ライオンズの野球の試合を、800人のクラブメンバーと共にボックスシートで見れたことです。
訪問と学習の機会を与えてくれてありがとう。
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(ジョナサン・マーフィー) 日本
訪日はスゴイの一言です。それが始まったばかりであり自分があと5ヶ月間も大阪に残れるなんて最高です。2年前大阪に来て帰る時には、こんな素晴らしい機会は二度とないだろうと思って落ち込んでいました。この2回目の訪問では、前に行けなかった場所の多くを訪れることができ、また永遠に忘れることのないであろう新しい場所に行くこともできました。
奈良の東大寺は日本の中で自分が最も気に入っている場所のひとつです。正門に着くとすぐに透明感が支配し、それは寺院自体の驚愕するほどの大きさに向けて人々を引き締めます。遠くから見るとそれは2,3階の高さしかないのですが、近づくにしたがって徐々に大きさを増し続けるのです。最高に大きな人でさえ謙虚な気持ちにさせる巨大な大仏を収納するほどの大きさであるその寺院は、正面入り口に着く頃には人々の上に覆い被さっています。この大仏は現代技術が開発される前に造られたのだということを理解するのは、我々の世代の人間にはとても困難です。驚くべき長期間のあいだ保存されてきた古代文化の最後の遺物の数々が現代日本の都市のあちこちに密かに残っているということはすごいことです。
奈良の静かな通りと好対照を足すのが広島の騒がしい街です。ここで、たった50年前、戦争の中で世界最初の原子爆弾が使われたのです。平和公園の人並みの中を歩いていると、この街がある時点に置いて破壊され完全に機能不全に陥ったという事実は信じられません。8月6日午前8時15分の爆心地からほんの数ヤードのドームのとなりに座った経験は、言葉にすることができないものでした。それを凌ぐのは、被爆の悪夢を実際に生き延びた人からの生の話だけでした。広島についての本を読んだりテレビで多くの話を聞いたりしたことはありましたが、子どもの観点からその話を直に聞くことほど真に迫ってくるものはありません。私に最も影響を与えたのは、彼がキノコ雲の中にチャーチルとルーズベルトの顔を見た、と言われた時でした。理由はわかりませんが、それは私を驚かせました。なぜなら、それほど恐ろしいものの中に誰かの顔を見なければならないほどの憎しみを私は想像すらできないからです。
でも、前回と同じように今回も私を本当に驚かせたのは日本の人々です。アメリカでは普通の礼儀正しさはとても斬新に映ります。でも日本ではそれはただアタリマエのことです。安達さん一家が家を私たちに開いてくれるのは素敵なことだと思っていましたが、心まであんなに開いてくれることは予想もできませんでした。わずか2日で私たちは安達家の子どものようにもてなされ、自分の家でも受けないような素晴らしい歓迎を受けました。このことだけでも、私がアメリカのどこかの場所に出かけた場合よりも、この訪日をずっと素晴らしいものにしてくれました。このような経験をさせてくれた交換留学プログラムのすべての関係者とヘニー・ケリーに、心からの感謝をしたいです。責任に応えられるように頑張ります。
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(カルロス・ガルシア)
2004年夏の大阪平和学習旅行
今回が私にとって初めての訪日でしたが、それはとても素晴らしい想い出になりました。ホスト家族の安達さん一家の驚くような寛大さと暖かい歓迎のお陰で、たくさんの喜ばしい想い出を持って帰国することができます。お陰でいつも家にいるような気分でした。
京都や奈良にも行けたので、日本の豊かな歴史や宗教的影響についても少し覗くことができました。この旅行によって、日本が自分たちの過去と未来をとてもうまく結びつけてきていることがわかりました。これほど現代的でテクノロジーが進歩した国が、同時に古代の寺院を保存することにも情熱を持ってしていることがその証拠です。
「ピースおおさか」と「リバティーおおさか」は、その存在自体と平和と反差別のテーマについての素晴らしい展示で私を感動させてくれました。日本文化が平和的な人間同士の交流の上に栄えてきたのだということがハッキリとわかりました。歩道の上をあんなにたくさんの自転車と歩行者が共有していることが、協調的な人間の取組を証明しています。この単純な行為をサンフランシスコの歩道で実行できたらなあ、と思います。
これまでのハイライトは広島訪問でした。アメリカ人がその地で犯した虐殺について初めて読んだのは、私がまだ11歳の時でした。爆撃が起きたのが偶然私の誕生日だったことが、その日に苦しんで命を亡くされた全ての人々への喪失感ともに、忘れ得ぬ印象を私に残しました。その日、私はあまりにも泣いていたので休憩に行けなかったことを覚えています。帰宅するまでに私は、いつかきっと広島を訪れると自分に約束しました。22年後の今、私の一生をかけての目標の一つが達成されました。私がその目標を設定したのが11歳で、22年後にそれが実現し、広島の平和式典で33回目の誕生日を祝うことができたことを、魔法のようであり、また幸運だと思います(11,22,33という3組の数字はすべて同じ数の倍数です)。時計が午前8時15分を打ったとき、ドームの残骸の真ん前で詠唱し太鼓を叩いていた僧侶の団体の横に座ることができたのも幸運でした。
旅行の最後に向けて準備しながら、私は自分のホストファミリィーの家に2週間ホームステイすることができて本当に幸せだったと感じます。日本食についてたくさん教えてくれたので、今ではレストランで自分一人で注文することもできるようになりました。私はベジタリアンなのでこれはとても大事なことなのです。電車の乗り方を教えてくれ自分一人でそれをすることができたので、とても感謝しています。安達一家の歓迎ぶりは本当にスゴイものでした。サンフランシスコに来てくれた時にお返しができることを今から楽しみにしています。この訪日団を私の仲間やアメリカの高校生たちに推薦するつもりです。本当に目を開かせてくれる経験でした。
心からの感謝を、この交流を可能にしこんなに素晴らしいものにしてくれた全ての人たちに捧げます。私と同じようにこれからの参加者が学べるよう、この取組を続けてください。
PS:日本の慣習に従って私が行動しなかったことが何度か会ったことを許してください。それは日本のやり方を私が知らなかったためです。
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(サワモト メグルさん)
今回のホームスティ期間中、いちばん頭を悩ませた点は食事の用意でした。
我が家では、カルロス(32才)・ジョナサン(18才)・ティモシー(14才)の3人を受け入れましたが、カルロスはベジタリアン、体重140kgのティモシーはコーラやらジャンクフードばかりを好み、玉葱が食べられない等の偏食多し!ジョナサンだけが、比較的なんでもトライしようとする姿が伺えましたが・・・。
食事面で特に印象に残った点は・・・若い2人が特に喜んだのは焼肉で、かなりの量を平らげていた事。シーフードアレルギーのカルロスも、回転寿司屋では「イッツ
ビューティフル!」と、すごく喜んでいた事。
主人が食事を用意した日は(トマトパスタ・チキンステーキ・フランスパン・チーズ・サラダなど)3人共お大喜びで何回もお代わりをしていた事・・・等です。
観光に関しても、3人の年令や趣味の違いから初めの頃は、何に興味を持っているのか?これも頭を悩ませました。
カルロスは日本の歴史や文化に興味を持ち、お寺等を見学したがっていて写真撮影にも熱心でした。ジョナサンはディスコや野球観戦に行きたがっていたので、大阪ドーム(近鉄VS西武)
やディスコにも連れて行きました。特にディスコが気に入ったようで、12月までの滞在中にはまた一緒に行こうと約束しました。
ティモシーは、まだ14才という事もあり、いろいろ見てまわるよりも、どちらかというと家でゴロゴロテレビゲーム三昧・・・といった具合。
3人の興味の違いや、我が家の生活に慣れてきた頃からカルロスは1人で梅田にショッピングに行ったりジョナサンは主人とミナミに行ったりティモシーは、家で昼寝・ゲーム・・・と各自で好きな行動をとるようにもなりました。
彼らはこんな風に、3人3様のゲストでしたが、みんな滞在中には、すっかり我が家の一員と思えるぐらい打ち解けていました。
私共の息子が(18才・14才男)同年令という事もあり、毎晩4人で遅くまで、ゲームや会話を楽しんだり、ティモシーと二男(14才)は、何をしてたのでしょうか?2人でいつも、こそこそと・・・・・。(笑)
まったく自分達の子どもと同年令という事もあり(実際のところ、行動もよく似ていた)私達も自分の息子達と同様に、怒ったり、しつけたりと、楽しませてもらいました。
また彼らを受け入れた事で、私共の子ども達にとっても、とても良い刺激となったように思います。長男はこれまでにも、ホームスティーの経験がありますが、「ホームスティとかには、絶対に行きたくない!」と言っていた二男も、今回の事をきっかけに、「オレも行こうかな・・・。」と言いだしています。
支離滅裂になりましたが以上のような事が、印象に残りました。
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(マエ・ローズ・アルバートさん)
国際交流地域実行委員会主催の柴島高校との交流プログラムは、私にとってとても実りある経験になりました。たくさんの素敵で親切で寛大な人たちにお会いできただけでなく、日本の歴史・文化に対して深い理解をすることができました。私のホスト家族である嘉悦さん一家は特別の人たちでした。嘉悦さん宅に泊まっていて、私は本当に自分自身の家族といるような気がしました。嘉悦さんたちの私に対する気遣いによって私は、受け入れられている安心感がありました。
大阪、京都、奈良、高野山の景色を見れたことは、大きな喜びでした。古代の寺・神社から未来のようなビルに及ぶ建造物の幅広さはとても印象的でした。日本人の感性・美意識・価値観・誇りが、建造物・庭園・絵画・工芸のなかにハッキリと見られました。大阪市長と教育委員会の方々にお会いできたことは、とても光栄でした。また、壮大な花火祭りと地元の学校での盆踊りも、とても楽しかったです。他にも、時間があればもっと書きたいとても多くのことがありました。これらの美しい場所を訪れ、素晴らしい行事に参加できたことはとても光栄でした。
「ピースおおさか」と「リバティーおおさか」を訪問したことで、日本の人々が平和と人権を広めるためにどれほど努力しているかを深く理解することができました。広島への原爆投下59年目を記念する式典に参加できたことはとても感動的な経験でした。広島に関する本や写真や映画を見ることは、爆心地に立ってみた時の経験とは、比べものになりません。一瞬で消えてしまった人々に思いをはせながら横たわり、僧侶の詠唱や太鼓の音に耳を傾け、何千もの折り鶴を見ながら、旗を持つ式典に参加したことは、参加者が共有した平和と愛情への本当の思いとともに、私の記憶と心の中に永遠に残ることでしょう。
この交流に参加できたことを心から感謝し、世界規模での平和と理解を促進する努力を続けていくことを楽しみに思っています。サンキューそしてありがとう、大阪。
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(エリザベス・セント・クレアさん) 国際交流地域実行委員会主催の柴島高校との交流プログラム
大阪府と我々(国際交流地域実行委員会主催のサンフランシスコからの訪日団)の間での贈り物の交換を座って眺めながら、私たちから教育委員会関係者の方々への贈り物が、サンフランシスコの有名な金門橋であることに気が付きました。そのとき金門橋がこの交流が私にとって意味するものをとてもうまく表してくれているように感じずに入られませんでした。つまり、2つの学校・国籍・文化をつなぐ架け橋のようだと。
ここに来る前は何が待っているのか知りませんでしたが、それは大抵いいことなのです。私が経験したことは、心に響くものであり、そして感謝の心でした。私のホスト家族の嘉悦さん一家はとても親切で、すごく歓迎してくださいました。マエ・ローズと私がステイさせてもらったのは、嘉悦家の隣にある客棟でした。嘉悦さんのお母さんは毎朝・夕、とても素晴らしい食事を用意してくださいました。毎晩シャワーを使えるようにしてくださり、私たちの洗濯までして下さいました。最も素晴らしかった経験の一つは、この前の土曜日でした。私は旅先で人形を集めていることを嘉悦さんたちに言いました。そして心斎橋で気に入った人形があったとも言いました。でも嘉悦さんたちは心斎橋に戻ることを勧めず、かわりに私を人形の店が立ち並ぶ大阪のある地域へ連れて行ってくれました。そこまでのタクシー代も払ってくれました。そしてそこには私が探していたズバリそのものがありました。ミニチュアの内裏雛人形です。娘さんの嘉悦チカさんが家の中にそれを飾ってくれました。
もう一つの思いも寄らない親切な出来事が昨夜起こりました。嘉悦さんたちがマエ・ローズと私に素晴らしい贈り物をくださったのです。嘉悦さんたちの歓迎だけでも充分な贈り物なのに。
障害者に関わる担当教師である私にとってのもう一つの意味ある経験は、「リバティーおおさか」を見学し障害者についてのコーナーを見つけた時でした。障害者がその人権博物館で取りあげられ、その苦労が見逃されていないことがわかり、よかったです。障害を持つ人たちが歩き回るのに苦労する街の典型的な場所の模型がありました。その多くを我々健常者はアタリマエに見過ごしています。また車いすも用意されてありました。何と多くの人が車いすに乗ったことが一度もないかは、驚くべき事です。
最後に、最も心に響いたのは、原爆攻撃59年目の広島を訪問したことでした。平和記念館、平和公園(被爆者への慰霊碑)、子ども平和公園、原爆ドームを訪れました。平和記念館は啓発的であり、かつ心に響きました。子ども平和記念碑は、1945年8月6日の運命の日に何の罪もなく亡くなった何千人の子どもたちに心を通わせる経験でした。その中の一人が貞子で、彼女は2,3歳の時に被爆し、12歳の時に白血病で亡くなりました。彼女は自分が治ることを願って、千の折り鶴を折りました。
8月6日の朝8時15分きっかりに我々は仰向けに横たわり、亡くなられた何十万人、特に爆心地から1.5キロメートルの中にいた人たちのことを象徴しました。ドームの辺りには何百人もの人がいました。中でも特に、世界のそれぞれの国の平和を祈る団体がいました。誰もが自分が選んだり適当に取った国の国旗をもって参加できました。私はキプロスとルワンダとベリーズの旗を持ちました。ベリーズを選んだのは、私がベリーズへキリスト教のミッションの旅を行い、そこに幼稚園を建設する援助をしたからです。各国の名前が呼ばれたあとに、「世界が平和になりますように」という言葉が続きました。
初め大阪に来た時、日本人と私の間の橋は長くて辛いように感じました。日本語での簡単な挨拶と御礼の言い方を学び、日本人と日本の文化をより理解するに連れて、この橋が短くて甘いように感じてきました。まるで甘いキビダンゴ飴のように。
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(カエツ ヤスヒトさん、セツコさん、チカさん)今回のような長期間のホスト家族の経験は、我が家にとって初めての体験で当初、いささかの戸惑いがありましたが、英語によるコミュニケーションはしどろもどろながらも、直ぐに打ち解け心が通い合うようになりました。
お互いに生活習慣や文化の違いを尊重しながらささやかな日米交流、親善が出来たのではないかと思っています。
最後の「お別れパーテイ」の席上で、ゲストから「これからも自分の教え子や同僚教師のホームステイを受け容れてもらえないか」という言葉を聞いたとき、その一言で我が家のホームステイも満足してもらえたのかな、と思いました。
直前のホスト家族決定で、十分な心の準備もないままでの受け入れで、何かと大変ではありましたが、結果的には我が家にとっても貴重な体験とすばらしい思い出を作ることが出来、よかったと思っています。
このような機会を与えて頂いた関係者の皆様にお礼を申し上げます。
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(写真上)
ホスト家族の石井さんと学生インターンの中西さんがヘニー・ケリーさんからプレゼントを渡されている。
2004.08.09お別れパーティにて
(写真下)
ホスト家族の嘉悦さんとゲストのマエ・ローズさん
2004.08.09お別れパーティにて
国際交流地域実行委員会

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